Tsumugi Ito

ゆるくながく、繋がる糸になれ。

これはきっと、枯れないクローバー。

 NEWSが3人になった。手越が抜けた。

言葉にするとこんなに短いのに、書き表せない、書ききれない、言葉に変えられない想いが体中に溢れている。そっか、NEWSは体の一部のようにもうすっかり染みついたものだったんだって、いまさら気が付いた。

 

 

ジャニオタになってもう14年。ちょうど人生の半分、ジャニーズが大好きだ。担当ファンはずっと別にいたけれど、並行してNEWSを応援するようになってからは11年が経っていた。

(それなので、これはかけもちファンとしての話です。どうかそんな私でも良いという方のみ、読んでいただけると嬉しいです)

 

 

NEWSは高校生になってから、なんとなく好きになった。

なんとなくなんて言ったら失礼かもしれないけれど、本当にそんな感じだった。中学時代にはNEWSを好きな友達もいたし、中2から毎月ジャニーズ誌を買うようになっていて、ずっと身近な存在だった。

 

ひとつのポイントだったのは、高校2年生の誕生日。CDショップに行った時、『テゴマスのうた』が妙に気になって買ってもらい、2人の歌にどっぷりとハマった。堂本兄弟で歌っていた『片思いの小さな恋』が好きで、何度も聴いていたな。

そのうち『走魂』が始まって、深夜まで夜更かしをして見るようになった。それが本当に面白くて、夜中なのにゲラゲラ笑って、急激に走魂に出演していた4人(小山、加藤、増田、手越)が好きになった。

そこからNEWSのアルバムを揃え、大学受験を控える秋にリリースされたアルバム『LIVE』を聴きこむようになる。

 

そしてその時、東京ドーム公演を2度もお誘いいただく機会があったのに、私はバカ真面目に大学受験を理由に断ってしまった。

これが6人のNEWS最後のコンサートだったのかと、悔やむのは翌年のことだった。

 

(他グループ担から見た感じ)走魂のあたりから、テレビで見ても6人というより「4人と2人」のように見え、少し嫌な予感がしていた。

そのため脱退の発表があった時は、正直そんなに驚かなかった。むしろ、4人でもNEWSを続けてくれるんだ! とその決意が嬉しかった。(もっとも、そんなことを言えるのはテゴマスや走魂からNEWSを好きになった他グループ担だったからだと思う)

 

そして7月、リリースされた『チャンカパーナ』で初めてNEWSのシングルを購入した。慶ちゃん盤と通常盤。新生NEWSを見るのがすごく嬉しくて、『フルスイング』を聴いて更に応援したくなって、あの頃はたくさんテレビ録画した。

 

 

その冬、私はある写真館に就職が決まり、年末からインターンシップで働いていた。それがあまりにも辛かった。仕事が難しくハードなのはもちろん、人間関係が壊滅的に悪かった。その上、配属先が行ったこともない県の田舎町になってしまったことにも絶望していた。

そんなある日。不安と仕事への恐怖からどうしても仕事に行きたくなく、せめて気持ちを切り替えようと流した『少年プレミアム』から『フルスイング』が流れた。

その時初めて、歌詞、そして4人のNEWSがどこか自分と重なって見えた。我慢していた涙が一気に溢れ出して、簡単には止まらなかった。けれどその涙が不の感情も一緒に洗い流してくれたようだった。

ひとしきり泣いた後には、「不格好だって、どんなに劣等生だって、最後まで頑張ってやる」と心に決め仕事へ向かった。多分その時から、NEWSは私にとって特別になった。

 

そして1月に美恋魂のDVDが発売。さっそく初回盤を入手して、家族のいるリビングで観た。こんなに泣くとは思っていなかったのだ。序盤から号泣、最後の『フルスイング』は家族みんな泣いていた。

 

当時書いていたブログには、こんなことを書いていた。

 

特に衝撃だったのは、フルスイングの大サビを歌いきる手越くん。

ずっと涙を見せないようにしていた彼が、急に涙で歌が詰まってしまって。

でも、膝を叩きながら歌いきろうとするところ。

強気で、弱いところを見せない手越くん。でも、彼も最年少。

ジャニーズに居る時間も一番短くて、だからこそ、ずっと頑張ってきたんだろうな。

そんな彼が、涙を堪えながら歌おうとする姿に胸が熱くなりました。

そして歌いきった手越くんを包むように、守るように、スクラムを組む3人。

そんな素敵な4人を、これからも見ていたい。

 

 

私にとっての手越は、この手越だった。チャラいと言われた手越より、強気でちょっとあぶなっかしい、でもグループ愛に溢れたスーパーアイドルだった。

 

 

そこから少しNEWSから離れる(他グループにどっぶりハマっていた)時期はあったけれど、また急激にNEWS愛が強まったのが2016年の『24時間テレビ 39』だった。

2009年のパーソナリティーの時も見ていたし、あの時再出発した4人のNEWSがこの大舞台に戻って来られたんだと思うと、それだけで涙が出た。

 

そこで最後に歌ったのが、あの『フルスイング』。まっすーの涙を見て、私も涙が止まらなかった。やっぱり4人はすごい。かっこいい。逆境からここまでの舞台まで戻ってきた、より大きくなった4人のNEWSがかっこよくて、誇らしかった。

 

 

そのとき私が24時間テレビの感動をツイートしたことから、興味を持った友達がNEWSのファンになった。

すっかりNEWS担になった彼女とは、NEWSを通して沢山の思い出ができた。泊まりの鑑賞会をしたり、コンサートに行ったり、カラオケに行けばNEWSばかり歌い、四六時中NEWSの話をした。楽しかった思い出ばかり。4人のNEWSを通して友情までも深まった。

 

 

それからの人生は、インターンシップの時と比べ物にならないほどつらい出来事もあった。その度、何度『UR not alone』聴いただろう。

 

『あの日つまづいて

 しゃがみこんでしまうほどの痛みさえ

 わきだして かけだして

 助走に変えて いけるように』

 

この言葉に何度も前を向かせてもらえた。それは、なにより逆境を立ち向かった4人だから。

 

 

確かに問題も色々とあった。それでも嫌いになることはなかった。なれなかった。

 

『BLUE』を買って、ビルボード1位を目指してたくさんツイートをした。それでNEWSを残せるなら、力になりたいと思った。それから続いてリリースした『「生きろ」』を聴けた時は嬉しかった。大丈夫、この4人ならって、思った。

 

 

まさかその歌が聴けた『WORLDISTA』が、4人のNEWS最後のコンサートになるとは思わなかった。

 

 

 

6月21日は東京ドームで『STORY』のコンサートを観に行くはずだった。現実ではコンサートどころか、もう4人のNEWSさえなくなっていた。

 

STORYが終わったら彼はNEWSを抜けるんじゃないか、とは彼の言葉から薄々思っていた。けれど、どうしても手越のいないNEWSは想像できなくて、想像したくなくて、そんな考えはすぐに打ち消していた。

 

それでも、今はそれが現実なんだと受け止めなくてはならない。

 

ずっと4人のNEWSが好きだった。

そして彼らの夢をずっと追いかけてきた。

自分に起こった悲しいこともつらいことも、彼らと重ねて何度も乗り越えてきた。確かに他のグループに比べ問題は多かったけれど、それでも負けない、何度でも這い上がってくる彼らが大好きだった。

4人がもう当たり前で、四葉のクローバーのように、それが1つだったから。そのひとつが欠けるなんて、体の一部を失くしたように悲しかった。

だから4人の最後がこんなの、腑に落ちないんだ。

 

4人で見ていた、NEWSの3人が願った、私たちの見ていた夢は、何だったの?

 

やるせない気持ちのまま、『NEW STORY』を聴いた。

 

『何度

 夢に敗れ 夢にはぐれ

 ここまで来ただろう

 生きていく

 一度きりの

 物語を

 他人に

 言えないこと 言わないこと

 胸にあるだろう

 生きていく

 すべて抱え

 進んでいく

 自分のSTORY』

 

こんな悲しい涙を流す歌じゃない。それなのに涙が止まらなかった。

 

慶ちゃん、シゲ、まっすーはこの歌のように進んでいくと思う。何度もやってきた逆境から、這い上がってきたように。

 

今までのNEWSも、これからまた頑張っていくNEWSも大好きだから。

私はこれからも彼らを応援する。

 

 

そして、NEWSとは別の道を行く手越。

正直今は「なんで」って言葉しか出ない。多分、今日の会見でどんなに彼が話をしても「なんで」って気持ちは消えないと思う。

こんな形でNEWSを離れることを、どう説明されても理解できない。

 

それでも、ずっと夢を見させてもらった彼を嫌いになることもできない。彼の言葉、行動の全てを嘘とは思えないから。彼の存在は、4人のNEWSにとって本当に大きかった。希望だったから。

 

だからどうか、NEWSであったことを誇りと思ってこれからを生きて欲しい。

そして皆が「手越がいたNEWSは誇りだった」と思える生き方をして欲しい。

これから今までのように応援することはなくなるけれど、あなたがたくさん勇気をくれ、幸せをくれたように、あなたの幸せを願っています。

 

 

4人のNEWSが大好きだった。

たくさん助けられた。一緒に夢を見られて心から幸せだった。

大好きなNEWSを残してくれて、本当にありがとう。

 

 

これから形を変えても、心の中に枯れないクローバーが残るから。

これから何度泣いたって、未来を、NEWSを信じる。

 

***

 

追記。

 

結局、手越の会見を見ることはできなかった。

 

そして翌日、会見の内容を読んだ。

(これは手越担ではない私の感想なので、辛辣かもしれないです)

 

まず、想像していた会見よりは悪くなくてホッとした。そして、驚くくらい彼への想いや未練は消えた。

会見での彼の言葉がとても綺麗すぎて、その綺麗さポジティブさに隠れている部分を反省していない気がしてしまった。そこを見て欲しかった。

 

手越の夢は応援したい気持ちもある。夢を追うことは悪いことではないし、素敵なこと。

ただ、その夢で夢を壊したことも事実だ。私はどうしても3人が好きだから、壊れてしまった3人の夢を想ってしまう。

 

シゲが心を籠めて構成していたSTORYツアーを観たかった。彼のことだから、ファンも想像できないくらい緻密な計画を立ててくれたんだろうな。

まっすーが考えたSTORYの衣装を観たかった。手越のために作った衣装はどんなものだったのだろう。どれだけの労力をかけたんだろう、どれだけの想いが込められていたんだろう。それを見ていたら、どれだけ感動しただろう。

慶ちゃんがみていた夢のどんなだったろう。だれよりも4人のNEWSが好きだった人。きっと誰より葛藤して反省して努力したはず。

 

こんなに手越へ愛情を持ってくれる人、この3人の他に居ないと思う。

これからお世話になる人が誰かは知らないけど(興味ないけど)、美しい言葉に、綺麗な言葉に、上手い言葉に騙されちゃだめだよ。ちゃんと本質を見抜かないと傷つくよ。それが心配だ。余計なお世話だろうけどさ。

 

そして、もう彼のことを考えるのはやめる。過去と思う。今までに感謝している。これからは好きでも嫌いでもない人。

 

 

もう終わった夢に縋るのはやめよう。

悲しんでいると、もう体がもたないし。(あまりにもショックで肋間神経痛にまでなった TT)

 

大切なのは、「これからも彼らが好きだ」ってこと。

これからも新しい夢を描けるし、叶えられる。

これからのNEW STORYを応援したい。

やっぱり枯れないクローバーはあるって信じたいから。

 

 

ひとり旅をすることにした。~広島2日目①~

初めての場所で眠りが浅かったのか、夜中に何度も起きてしまった。なかなか寝付けず、やっと眠れた頃には朝になった。アラームを何度も止めてしまい、結局30分の寝坊。痛恨のタイムロス!

今日の予定は原爆ドームに弥山登頂、夜にはせおっちのおすすめしていたお好み焼き屋さんへ行く予定。バタバタと急いで支度を済ませ、駅へと急いだのでした。

 

広島2日目は節約も兼ねて広電で移動すると決めていた。昨晩ゲストハウスに戻る前に“一日乗車券”を購入していたのだ。大人840円で広電と宮島松大汽船乗り放題。しかも弥山登頂のための、宮島ロープウエーも割引される。(乗車券の呈示で490円の割引)

 

広島から宮島の往復、ロープウエー金額で比べると……

◎(JR往復)820円+(フェリー往復)360円+(ロープウエー)1840円=3020円

◎(広電一日乗車券)840円+(ロープウエー)1350円=2190円

 

840円お得でした! ちょっとでも節約したかったので助かった!

(とはいえJRと比べ広電の乗車時間は2倍ほど。効率よく動きたい方はJRの方がいいかもしれません)

確かに乗車時間は思った以上に長くて、JRで向かった方が楽だったとも思いつつ、初めての路面電車に心は躍った。ゆっくりゆっくり、細かく停車する広電。バスと電車の中間のような、不思議な乗り心地。教習所で習っていたはずなのに、路面電車が信号で止まるのに驚いた。車が並列して走っているのも不思議に感じた。同じ国なのにこんなにも環境は違うんだ、と。地域密着した乗り物って素敵だ。

 

広電の一日乗車券は、乗車する年、月、日にちがプリントされた銀色のシールとスクラッチして使う。「乗り方これで大丈夫だろうか?」と心配になりながら、座席に座った。人は落ち着いていたものの、ギリギリ朝の通勤する時間と被っていたので私みたいな観光客は全然いないように思えた。

 

 

向かう場所は原爆ドーム。旅先を広島と決めた時に、必ず行こうと思った場所だった。自分の意思で、ひとりで観に行きたいと思っていた。広電広島駅から約20分。「まだかな……」と外を眺めた時、目に入った原爆ドームの衝撃。小さい頃から教科書やテレビで何度も見ていたのに、直に見ると圧倒された。

 

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広電を降り、原爆ドームの前に立つと涙が溢れた。その感情は、上手く言葉に出来ない。それは勝手に、自然に溢れてくる涙だった。

 

原爆について、戦争について、知りたい、知らなくてはならない。それは体の中から混みあがってくるような気持だった。

 

平和資料館を見て回ると、その戦争の惨さ、原爆の悲惨さを知った。学生時代にも戦争については学んでいたけれども、初めて知ることも多かった。そして知れば知るほど、もっと深いところを知りたくなった。そして、現に私は旅を終えてから沢山の原爆、戦争の本を読む。

怖くて、暗くて、悲しくて、戦争を学んでいたはずなのに、どこか目を背けていたのかもしれない。けれど原爆ドームを見て、平和資料館を回り、私の「知らない」こと「知ろうとしない」ことも大きな罪なのだと気付いた。

 

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平和の灯の前で手を合わせると、また涙が出た。

日本人ばかりでなく、外国の方もたくさん。それが嬉しかった。誰もが平和に対する祈りは同じだったように思う。

 

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それから元安川の川沿いのベンチに座って、しばらく原爆ドームを眺めていた。

そしてある曲を聴いた。NEWS加藤シゲアキくんの『あやめ』。この曲は、2017年の『いのちのうたフェス』の最後に披露した曲だった。(実はジャニーズのファンでもあるのです)

 

正直、歌詞は深くて正確にどんな意味かはわからない。けれど、今この場にピッタリとくる曲はこれだと思った。

『だから僕は生きていく』『そして僕は生きていく』、何気なく聴いていた言葉が決意へと変わって胸に響く。

 

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相生橋を渡りながら、この景色を心に焼き付けようと思った。

 

 

ひとり旅日記④

今日は朝から起きられなかった。

6:50のアラームのはずが、ずるずる伸びて7:15起床。8:30には原爆ドームに着いているはずだったのに、しょっぱな寝坊してしまった! ということで、着いたのは9時少し前。

 

広電が原爆ドームに辿りつく少し前。車窓から原爆ドームが見えた瞬間にハッとした。そして、原爆ドームの前に立つと涙がこみあがってきた。何故涙が溢れるのか。何も知らないままこみあがる涙に、私は「知ろう」と思った。そして、平和資料館へ向かった。

中は黒い空間、重い雰囲気、そんなことより過去にあった現実が本当に残酷だった。原子爆弾はほぼ原爆ドームの真上で爆発したという。そして、その半径20kmが全て灰になった。

 

普段の生活が営まれていた広島に落ちた原子爆弾

尊い命が一瞬にして「消えて」しまった。そして人生さえ、壊していった。8月15日、終戦の日、私は戦争が終わったと思っていた。けれど、人々の中での戦争は終わらない。本当の意味の戦争は終わっていない。死ぬまで苦しい思いを抱え、病を患い、幸せを受け入れることが出来なかった。私は知りえない、その辛さや恐ろしさを。改めて知った、平和の尊さ、大切さ。

 

ある青年は「助けられない」と謝った方に「ありがとうございました。この定期をどうか、宮島にいる家族に」と形見を預け、炎に飲まれた。ある少女は白血病になり、家族に心配をかけぬよう明るく振る舞った。亡くなる頃は全身にがんが転移していたという。数えきれない、色んなストーリーがあった。やりきれなかった。

 

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空はどこまでも晴れていた。

平和の灯の前は、ひっきりなしに手を合わせる人がいた。日本人だけではない。むしろ外国の方が多いくらいだった。祈ったって過去は変えられないけれど、後生ずっと忘れない。平和の祈りはたやさない。

 

原爆ドームを臨む川沿いのベンチで歌を聴いた。『あやめ』と『いのちの歌』。

 

『あやめ』は広島に来て原爆ドームを眺めながら聴いたら、意味がみるみる身体に沁みていくような気がした。平和への祈り。強く、強く祈る心。そして『僕は生きていく』という想い。

生きること、生まれてきたこと、今生かされていること……その意味。決して無駄にしてはいけない。私も、必ず大切に生きていこうと思った。私にとってそれが、『そして僕は生きていく』の意味なんだ。

 

『いのちの歌』。この想いは大切な人を亡くしているから分かること。誰かが、みんなが繋いでくれた命なんだってことを、今日とても感じた。大切な家族、大切な人たちから繋がったこの命をしっかり繋いでいきたい。

 

忘れない。悲しみに負けなかったこの街を。命の大切さを。平和の祈りを。

いつの日も、いつの瞬間も忘れないでいよう。そして自分の命はもちろん、他人の命もより大切にしよう。心の底から思う。

 

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ひとり旅をすることにした。~広島1日目④~

 

ひとり旅日記③

 

13:26。それから、あっという間に広島に着いた。

降り立ってびっくり。駅は本当に都会で、どこもかしこも綺麗。びっくりしつつも、ずーっと我慢していたお手洗いに駆け込んじゃったんだけど。

案の定、駅から3分の立地にも関わらずゲストハウスまでの道は迷った。なんとか辿りついて、少し安心。すごくオシャレでアットホームなところだった。それから荷物を置いて送り出され、宮島へ向かったのでした。

 

JR山陽線で30分。長いような、短いような。それも、フェリーに乗るとあっという間だった。1人なことをいいことに、カメラを持って右に行ったり左に行ったり、階段を上がったり。大鳥居が工事中なのは残念だけど、きらきらした海にときめいて何度も何度もシャッターを切った。

 

 

宮島に着いた時、なんだか“帰ってきた”感じがして少し涙が出た。宮島全体から漂う、不思議なパワーがみるみる自分に降りてくるようだった。

 

ずっと来たかった厳島神社、私はとっても好きな場所を見つけた。ぎゅっと抱きしめて「会いたかった!」と言いたいくらい、大好きな場所。それは厳島神社を出て、大鳥居近くの堤防。海に降りられるところ。海の色がとってもクリアで、神聖で、「ああ、これが見たかったの」って思った。

それからそこに、1時間近くもいたのかな。真綾ちゃんの『Million Clouds』、『ロマーシカ』、『はじまりの海』を聴いた。ムービーにも撮った、写真にも撮った。でもきっと伝わらないんだろうなと思ってしまう。きっともう二度と見られない、今日の空、光、波の形、風の音。

 

アラサ―女のひとり旅。宮島の海を見て佇みながら涙を流しているなんて、相当怖かったかもしれない。でも、すごく美しくてそこから動けなかった。体が冷たくなるまで、ずっと眺めていた。夕方で、人もそんなにいなくて、海と私。世界に自分しかいないんじゃって思うくらい、美しくてたまらなかった。

それからスタバに行っても、帰りのフェリーに乗っても、あの景色が忘れられなかった。今日しかないその美しさに心を丸ごと持って行かれてしまった。

 

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私の大事な場所、見つけた。きっと私はこの景色を見るためにここに来た。家族を、大切な人を、連れてきたくなった。ずっと抱えていた不安が嘘のようだ。背中にいつの間にか羽根が生えたかのように、どこへ行くにも体が軽かった。

 

初めてのこともいっぱいだった。新幹線は貴重品を盗まれるのが怖くてお手洗いに行けないし、生ガキが苦手なことも知らなかった。

そしてゲストハウス。初めてで構えていたけれど、意外と平気。楽しい。カレー味のカシューナッツに、広島のビールで晩酌した。これまたなかなか良い。

初めて出会ったたくさんの人たちと話をした。今日出会えた人たちだって、たまたまの偶然でもう二度と出会えないかもしれない。きっと私は今まで、そういう出会いに見向きもせず生きてきた。それなのに、どうして今こんなに尊く思うのだろう。

 

 

こんな感じで1日目。

やりたいことがいっぱいでつらいくらい。

明日の計画も、これから立てる! 明日は早起きも頑張る!

 

***

 

やっと1日目が終わった!こんなに長くなるとは。

次の2日目はもっと盛りだくさん! 早く書き進めますように。

 

 

ひとり旅をすることにした。~広島1日目③~

海に着いてからの話がだいぶ長くなってしまったので、ここからはさっぱりと!

 

海岸を離れ、もうひとつ食べたいと考えていた広島グルメを食べに出かけた。その名も、『揚げもみじ』。

名物・紅葉まんじゅうを天ぷらのようにカラッと揚げた、ご当地ならではのスイーツである。店に向かうと、夕方にも拘らずひっきりなしに客が来ていた。

 

これを食べようと決めたのは、広島出身のタカラジェンヌ・瀬央ゆりあさん(せおっち)がおススメしていたからだ。(実は、長年の宝塚ファンなのです)単純なので、せおっちが食べているのを見て、必ず食べようとスケジュールに入れていた。

 

揚げもみじ味は数種類あったが、ご当地感に惹かれて『瀬戸内レモン』を選んだ。普段だったら王道の味ばかり選んで、変わった味はほとんど食べない。そのため“新発売”にもちっとも惹かれないのだが、旅に出ると気分も変わるらしい。

 

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揚げもみじは勿論ものすごく美味しかった! 外はアツアツ、齧ると天ぷらのようにカリッとして、中はふんわりと柔らかい。選んだ『瀬戸内レモン』の味はクリームに爽やかなレモンがきいて、絶妙にさっぱりした味わい。あっという間に食べ切ってしまった。あまりに美味しかったので、10個入りのもみじまんじゅうをお土産に買って帰った。どの味も、とっても美味しかった!

 

 

その後は、近くのスターバックスコーヒーへ。

地元でも飲めると思いつつ、ついつい入っちゃう。たくさん持っているのに、ご当地スターバックスカードが欲しくなってしまうのです。

 

広島限定スターバックスカードと、いつもの如くホットココアを注文した。(スタバのココア、こってり甘くで大好物なんです)

オシャレな店内に思わずソワソワしていると、「どちらから来られたんですか?」とスタッフさんに声を掛けられた。大きめのリュックを背負って、かなりの“おのぼりさん”臭が漂っていたのだろうか。とても優しい話し方だった。

 

「○○からです。ひとり旅できました」と答えると、「あ、○○とか?」とスタッフさんは出身県の有名な地名や特産物を挙げてくれた。とてもフレンドリーで話しやすい。

スタッフさんはみな優しく、他にも「夕飯はどこで食べますか?」、「ゲストハウスに泊まるんですね、○○ですか?」など沢山話しかけてくれた。

 

始めて踏み入れる土地。ウキウキと胸が高鳴る気持ちの中に隠れていた、ほんの少しの寂しさがちょっとした他愛ない話で埋まった。こんな些細なことで、心がほっこりするんだなぁ。

 

予定していたフェリーの時間をずらして、2階でゆっくりとホットココアを頂くことにした。

 

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もうすっかり暗くなっていたため、テラスには出ずに窓際の席に座った。

人はあまり多くなく、外国人のカップルや編み物をする人、読書をする人、皆とても優雅に過ごしていていた。この人たちは、普段からこんな風に過ごしているのだろうか? ステキに時間を使えるって、かっこいい。

私はというと、特にすることもなかったけれど、リュックに入れていたノートにメモを取ることにした。ここでいくら使ったとか、これはこんな味だったとか、簡単なことしか書けなかったけれど。(これが意外と、のちのち役に立つことになる!)

 

のんびりしていると、18時を回っていた。もうチェックイン時間だ。

 

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 外に出ると、すっかり暗くなっていた。人もまばらで、空気もだいぶ冷たい。名残惜しさを感じつつゲストハウスのある広島の街へ戻った。

 

 

 

ゲストハウスに戻ったころには、19時を越えていた。「遅れてすみません!」と言うと、優しそうな女性スタッフが「大丈夫ですよ」と対応してくれ、預けていたキャリーバックを持って部屋のある3階まで運んでくれた。

 

「重いですよね、すみません」

そう言うと、彼女はとても笑顔で「大丈夫です。外国の方、バックパッカーの方はもっと鞄大きくて重いです」と言った。少し片言だったので、外国の出身と分かった。

 

近年何度か裏切りに遭い警戒心が強くなっていたけれど、この旅を通して何度も初対面の方々に親切にしてもらい、みるみる心がほぐれていくようだった。早くいろんな人に出会いたいとさえ、思い始めていた。

不思議だ。ひとりは楽だとも思っていたのに、人と関わりたくなっている。

 

 

ゲストハウスの部屋は、ドミトリーではなく一人部屋にした。3日目、岡山に出てからのゲストハウスはドミトリーの予定だったので、広島ではのびのび過ごせる一人部屋を選んだのだ。

部屋は6畳ほど。大きなダブルベッドがひとつと、部屋の片隅に小さな机といすがあった。日記も書けるし、コンセントも多いし、エアコンも自由に操作できる。十分快適に過ごせそうだ。

 

 

ようやく1日目が終わる。安心してベットに横になっていると、いつの間にか20時になっていた。

せっかくのゲストハウスなのだからと共有スペースに行ってみたものの、閑散期とあって人は誰もいなかった。テレビも故障で付かず、手持無沙汰。どうせならお酒でも飲むかと、入り口の飲み物ケースから広島のビールを買って、バースペースでひとり酒をした。いつもバーを開いているそこは、ちょうど休みだったらしい。おしゃれなバーで飲んでみたかったな。

 

初めて買った瓶ビール。ビールはほとんど飲んだことがなかったのに、もみじまんじゅう同様ご当地感につられて買ってしまった。苦くて味も好きじゃないし、太るっていうし、のどごしの良さもさっぱりわからない。それでも、どうしてもこの広島ビールが飲みたくなったのだ。

 

 

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一口飲みこむと、苦さの中にレモンの爽やかさを感じた。もう一口、もう一口と飲み進めるごとに、苦さにも慣れてくる。

ビールって、こんなに美味しいんだな。アルコールのせいか体の力が抜けてくる。どことなく流れるボサノバに耳を澄ませながら、広島の夜に酔いしれた。

 

 

そんな、オシャレなひとり旅一日目。

 

まさか、その後に部屋を閉め出されるとは思ってもみなかった。

シャワー後部屋に戻ろうと思ったら、パスワードが分からなくなってしまったのだ。その時刻、21時57分。そういえば、22時にはフロントも閉まるって言っていたっけ……。

 

急いでフロントに向かうと、ギリギリ扉が開いていた! 

「すみません! 部屋のパスワード、分からなくなっちゃって!」

驚いた表情のスタッフさんも、すぐに笑ってまたパスワードを教えてくれた。

 

間に合って、本当によかった。あと少し時間が過ぎていたら、部屋に入れないままだった。

安心してベッドに入った後、ふと自分の姿を思い出した。パジャマにすっぴん、急いでいたので髪もボサボサ、こんな姿でフロントに行ったのか……撃沈。

無念のまま、初日が終わったのでした。

 

めでたし、めでたし、とは上手くいかないもので。

 

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ひとり旅をすることにした。~広島1日目②~

宮島は「神の島」と言われるらしい。これはひとり旅を終えてから知ったことだ。宮島が日本三景というのも、後から知った。宮島についてはたくさん調べたつもりだったたけれど、実際基本情報すら知らなかったらしい。宮島全体の美しさも、到着してから初めて知った。

 

f:id:itomaito:20200603185839j:plain間近に感じる海、広島の街とはまた違った、趣のある街並み。上手く言葉に出来ない感動が込み上げてきた。

到着は14時過ぎ。ゲストハウスには18時ごろチェックインと伝えているから、滞在時間は約3時間。こんなきれいな島に3時間は短すぎる。(ただでさえ方向音痴でタイムロスが多いし!)

 

宮島到着後、一目散に向かったのはご飯屋さんだった。名物、「牡蠣」である。あなご飯、お好み焼き、など宮島グルメは数あれど、私は牡蠣一択だった。お店の下調べは済んでいる。用意周到にネットでメニューを見て、注文する定食も決めていた。宮島最大の目的地・厳島神社の前に腹ごしらえをしておきたかったのだ。

 

店は迷うことなくスムーズについた。店内はお昼の時間を越えていたのでそう混んでいなかった。店員さんがお冷を運んでくるタイミングで、すぐさま決めていた定食を注文した。(事前メニューを調べていた理由は、チャイムがないご飯屋さんで店員さんを呼ぶのが苦手だから。学校で手を挙げて発言できなかった名残か? ここ、もうそろそろ克服したい)

 

注文したのは生ガキ、カキフライ、牡蠣飯、と三種の牡蠣が楽しめる定食。しめて2250円也。ひとりランチでこの値段は中々の贅沢。いいのだ、きょうはその分夕飯は無しと決めている。

 

そして早々に生牡蠣がやってきた。とても大きくて美しい。この牡蠣は全て自分のモノ……興奮する。ひとくち、パクリ。 

こ、こんな味なのか!!

 

牡蠣一択、と言っておきながら、実は牡蠣をカキフライでしか食べたことがなかった。そして、そのカキフライが大好物だったのだ。生ガキなんて特別な食べ物、海なし県に住む私が口にするはずもなく……。生ガキは憧れの産物として、ずっと私の心の中に君臨していた。

せっかくの初生ガキは最高の生ガキで体験したい。そう意気込んで食べた初生ガキは、はっきり言って苦手な味だった。

嘘だ、あんなに憧れていたのに、苦手なんて……。しかも、まだひとくちしか食べてない。

 

そこで思い出した。

「あっ、ししゃもフライは大好きだけど、ししゃもの素焼きは苦手だった」

そういえばアスパラも生は絶対食べないけど、天ぷらは最高においしかったな。そうだ、私はいつも揚げ物マジックにかかっていたんだった。好き嫌いの多い、自分の味覚にほとほと呆れる。そんな、忘れられない初生ガキ体験。

 

後からやってきた牡蠣飯、カキフライは最高に絶品だった!(写真は牡蠣飯の牡蠣をひとつ食べてしまっている)

揚げたてのカキフライって、ジューシーで齧ると中がトローッとして、絶妙に甘い。内陸だと冬場しかカキフライに出会えないから、冬が好きな理由の一つでもあるほどだ。

 

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「アツアツ、でもこの熱さが美味い。やっぱりカキフライは揚げたてに限る」

「このデカい牡蠣、贅沢に一口で頂く……うん、美味い!」

 

頭の中で松重豊食レポをしている。声が聞こえる。まさに孤独のグルメだった。

この孤独のグルメ現象は、ひとり旅での食事中必ずといっていいほど発生した。脳内松重豊、休む暇なし。おかげでひとりご飯の寂しさは減りました。

 

 

お腹が満たされたところで向かったのは、勿論厳島神社

坂本真綾さんの世界遺産劇場で見ていた場所だった。いつかきっと行こう。ずっと心のどこかに思いつつも後回しにしていた。

今、やっとそこに辿りついたのかと思うと胸が熱かった。

 

f:id:itomaito:20200603191001j:plain夕方が近づいていたこともあって、人はそう多くなかった。

拝殿で拝礼し、平舞台へ向かう。ひとりで東回廊を歩きながら、感じられる深い歴史と趣に心が奪われていくのが分かった。

 

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真綾ちゃんの世界遺産劇場の舞台となっていた平舞台。

ホームページや立ち読みしたガイドブックで何度も見ていたけれど、実際その場に立つと見える世界も違う気がした。その日は空も青く、空と海の青に囲まれた赤い本殿が美しかった。

 

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振り向くと、大鳥居の見える海がある。ちょうど工事中で、大鳥居は薄い幕に覆われていた。それでも、とても美しい景色だった。幕に隠れていようとも、隠せない神聖な存在感を感じた。

確かにインスタ映えにはいまいちかもしれないけれど、私にはその景色が「また完成した時に帰ってきて」と言っているように思えた。むしろ、その方がまたここに来る理由になって都合がいい。一目ぼれのように、すっかり心が奪われた厳島神社、宮島に私はきっとまた来ると誓った。

 

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さて、その後私は念願の初ご朱印帳を入手し、おみくじを引いた。

おみくじを引くときはいつも緊張する。ひっそりとおみくじの筒を揺らし、棒に書かれた数字の引き出しを開けた。

 

『吉。何事もまことをつくしてなすときは思うことやすやす成就。』

 

書かれていた言葉を読んで、ほっと体から力が抜けるのを感じた。

おみくじに縋ることはないけれど、心の支えになったりする。以前友人とおみくじを引いた際、そこに書かれた言葉に友人は涙していた。辛い毎日の中で励まされる言葉だったといった。

この時、私もまさにそうだった。生きている姿を認められたような、誰かに守られているような、不思議な心地がした。

 

書かれていたことはささやかな幸せ。これから徐々に良くなるだろう、信じて進め、との指針。はじまったばかりのこの旅も、きっといいものとなる。漠然とそう思えた。

 

厳島神社の境内を出ると、海の見える方向へ向かった。松が植えられ、石でできた長いベンチのある、堤防のような場所だった(西松原というらしい)。

少し先に進むと、海岸に降りられる階段を見つけた。周りには誰もいない。心配になりながらも近くの看板を見ると降りて良いようだったので、おそるおそる海岸へと向かった。

 

f:id:itomaito:20200525115554j:plain海がすぐそばにあった。手を伸ばして触れると冷たかった。さらさらとした綺麗な海水。小さな貝殻がちらほら落ちている。

友達と何度も聴いたKinKi Kidsの『薄荷キャンディー』を思い出した。歌い出しの『静かに満ちてくる 波のつづれ織り』というフレーズ。

つづれ織りとは、もともと(衣服などの)織り方の技法をいうらしい。ずっと、この美しい比喩が好きだった。ゆらゆら波打つ水面を見て、その表現は本当だなぁと思った。波は揺れる度に薄く青や緑、紫に色を変えてキラキラと光っていた。

 

それから階段を昇り、石のベンチに座ってしばらく海眺めていた。

ウォークマンを取り出して、迷わず流したのは真綾ちゃんの『Million Clouds』。

 

Million Clouds』より

 

美しい世界は遠くにあると思った 船を待つ人魚のように

生まれて初めて ここがそうだと気が付いた 今

 

 

今しかできないことをすぐにやらなくちゃ

幾千の雲をかき分けて

駆け上がる気持ち こんな私がいたなんて知らなかった

 

 

つまさきからちょっとずつ生まれ変わってく気分 名前はまだない

始まった物語 最初の位置ページには 風の中に立つ私がいる

 

旅を始めてまだ10時間も経っていない。けれど、10時間前の私とは確かに違う気がした。外見はちっとも変っていないけどね。自分にだけわかる、身体に漲るパワーを感じる。外国に行ったわけでもない。たった7時間移動しただけなのに。

ずっとここに来たかったのに、「まだ無理」「中国地方は遠い」って思っていた。来ようと思えばいつでも来られたのに。いつでもストップをかけていたのは自分だった。仕事も距離も言い訳に過ぎなかった。

 

海を見ながら分かったのだ。きっとこれからだって、何でも挑戦できる。自分で止まらなければ。

 

f:id:itomaito:20200603191545j:plainそれから、長いこと海を眺めていた。水面に夕日の色が映り始めていた。

たった3時間しかいられないのに、その大半をベンチで過ごした。この景色をどうか目に焼き付けたかったのだ。

 

シャッターを切っても、ムービーを回しても、そこに写ったものは目に映る本物の景色とは違って見えた。

その時の風も、ニオイも、温度も、切り取って残せない。旅から時が経った今も、その形に残らなかったものを恋しく思い返す。だからまた、この目で見に行こうと思った。

 

裏切られたけど、嬉しかったはなし。

 

アパレル人生、最凶の日。

 

これは私のアパレル時代、最凶の出来事。

私が店長を務めるようになって、ちょうど1年が経ったある日のことでした。

 

その日はお休みで、家族でアウトレットモールへショッピングに出かけていました。昼食を取ろうと入ったレストランで、2番手スタッフからの一本の電話が。休日に店から電話が鳴るなんて、いつものこと。私は「またか~」くらいのノリで、店の外に出て電話を繋ぎました。

 

いつもの調子じゃないことは、電話越しでもすぐに分かりました。「どうしたの?」と訊くと、彼女は取り乱した様子で一言。

 

「店長、Yさんが連れていかれました」

 

 

話を要約すると、こうでした。パートスタッフのYが店舗の売り上げを横領しているのが分かり、上司や管理部の方たちに連れて行かれた。もう店舗で働くことはなく、今処分の話し合いをしている、と。

その後、上司からも電話が来ました。話は2番手からの連絡通り。とりあえず、店長はそのまま休んで。今日は他のスタッフみんな、いつも通り営業できるって言ってるし、詳しいことは後日話し合おうね、とのこと。

 

頭の中が真っ白になりました。正直、話が頭に入らないというか、理解できない。理解したくない、そんな感じ。

電話を終えて帰ってきた私の表情を見て、家族は何かを察し、ほとんど会話のないまま食事を終えました。ショックで食べ物の味がしなくなるって本当なんだ、と驚くほど、味が濃いはずのパスタもピザも味がしなかった。ただぼんやり咀嚼して、飲み込んで。頭には「嘘だ」という願いだけがぷかぷか浮かんでいたけれど、電話の話は紛れもない事実でした。

 

 

Yは入社した時期が近く、一番仲良くしているスタッフでした。勤務歴も長かった為、人員の少ないシフトの時や締め作業も任せるほど、信頼していました。プライベートでも仲良く、たまに泊まりで出かけることもあるくらい。横領するなんて間違いだ。そう、頭では訂正したくても、紛れもない事実。時間が経つにつれて、少しずつ彼女のしたことを受け止めていきました。

 

事実を受け止めてから、湧き上がってきた感情は「怒り」でした。

それは彼女に対してより、ほとんど自分自身に。店長業務に不慣れで、売り上げ確認に漏れがあったこと、店舗管理が完璧でなかったこと、Yの人間性を分かっていなかったこと。どれも出来ていなかった自分が悔しくて、腹が立って、しょうがなかった。しばらく売上が良かったものだから、どこかで調子に乗っていたのかもしれません。安心しきっていたのかもしれません。

「私の管理不足は店長失格だ」「情けない」「なんてことを見逃してしまったのだろう」そんなことを一晩中、ずっと考えた。悲しいのに、涙は一滴も出ませんでした。

 

 

後日、処分の内容や今後の方針、対策を話し合ったものの、私の処分はありませんでした。不正を起こしたのは彼女でも、私の店舗管理能力にも責任がある。店長降格は覚悟していましたが、(後任がいないこともあってか)そのまま私が続投することになり、店舗を立て直すチャンスを頂いたのでした。

だから余計泣いている場合じゃなかった。会社のため、お店のため、スタッフのため、お客さまのため、死に物狂いで頑張ろうと心に決めました。

 

 

ここまでだと、悔しさや悲しさばかりに思えますね。

ただ、このことはそこで終りませんでした。正確に言うとこの先の出来事が私にとってかけがえのない思い出になるのです。事件は途方もなく悲しかったけれど、それをきっかけに私は大切なことに気付けたのでした。

 

 

アパレル人生で一番、温かい日。

 

Yの事件が起きてからしばらく、私は「スタッフに会わせる顔もない」と思いながら出勤していました。

 

遅番で出勤する、ある朝のこと。店舗に入ろうとすると、スタッフがいつもと変わらず笑顔でお客さまと接客しているのが見えました。とても楽しそうに。

いつもと同じ、何ら変わらない風景です。それなのに、彼女の姿を見たら自然と涙がぽろぽろこぼれていきました。安心と、嬉しさと、「ありがとう」という気持ちが、涙になっていったのでした。

事件を経て、初めてこの風景が当たり前じゃないと気付いたのです。スタッフがいてくれること、お店があること、全て当たり前じゃない。

 

スタッフに感謝の気持ちを伝えると、不思議そうにキョトンとしていたけれど、また涙が溢れてくる私の背中をさすってくれました。

 

「みんな店長のことが大好きなんですよ。店長のこのお店が大好きなんです。これからも私たち、がんばりますから」

 

言葉も、さする手も、痛いくらいに温かく優しかった。もう何年も前のことですが、この優しさを今も色褪せずに覚えています。家族のように、とても大切なスタッフたちでした。可愛くてたまらないくらい、本当に溺愛していました。たくさんの辛いことを乗り越えられたのは、スタッフの存在が大きかったです。

この事件について、スタッフは誰一人私を責めませんでした。いつもそばにいてくれるスタッフのありがたさを、改めて知った朝でした。

 

 

その日は何故だか不思議で、私の顧客様やリピーターの方々が次々と来店されました。

 

これ、意外と珍しいんです。“お店の”顧客さまは多くても、“自分の”顧客様はそこまで多くありません。特にこの日はセールでもイベントでも何でもない、いわゆる閑散期。いつもなら顧客様の来店はそう多くない。(お客さまはもちろん、事件のことは全く知りません)

だからこそなんだか不思議で、「ここから頑張りなさい」というメッセージにも思えました。

 

学生のSさんは「もう卒業なんです。4月から社会人になるんですよ。いつ来てもいないな、と思ってたので、今日会えて嬉しい。また来ます」と嬉しそうに話してくれました。Sさんは私にとって初めて出来た顧客様。出会った時はまだ大学に入学したばかりだったのに、すっかり大人っぽくなっていました。彼女の成長が見られて、とても嬉しかった。お客さまの大切な時間に関わることが出来る、喜びを感じたのでした。

 

毎日のように着て下さるAさんは、いつものように楽しくお話をしていると、何気なく「大丈夫、頑張らなくてもいいことあるよ」と笑ってくれました。言葉が心にすーっと染み込むようでした。仕事を辞める時、Aさんに「辛い時、Aさんの言葉に救われたんです」と伝えたら、やっぱり笑っていました。Aさんのように、ひとに温かい言葉を紡げる人間になりたいと思いました。

 

いつも親子で来店してくれるMちゃんは、お友達と来てくれました。

「青見さんのこと、学校でも知っている人が多くて、髪を切ったことも友達から聞きました! 今日は会えてよかった」なんて。まさか大学で、私の話をしてくれているとは。6歳も年下の女の子が慕われるなんて、この仕事を始めた当初は思ってもいませんでした。とっても嬉しかった。彼女に恥じない生き方がしたいと思いました。

 

極め付けは昼食。気分転換を兼ね、近くのビルの喫茶店で食事をしていたら、そこでもまたリピーターさんに声を掛けられたのです。「お昼を邪魔しちゃ悪いと思ったんだけどさ! 思わず声かけちゃった!」と、お茶目に。邪魔なんてちっとも思わない。ただただ、本当に嬉しかった。気にかけてくれる人がいるだけで、こんなに元気が出るものなのか。

 

その後もたくさん来店されるリピーターの方々、久しぶりにお会いする顧客様。

笑顔、かけて下さる言葉、ひとつひとつが本当に嬉しかった。「ありがとう」って、何回言っただろう。嬉しくて、溢れる涙を何度も我慢しました。とても温かい一日でした。

 

 

裏切られたのは事実。そして私が未熟だったのも事実。

けれど、その事実を知ったおかげで大切な仲間のありがたさ、お客さまへの感謝の想いを痛感しました。

もっともっと、周りに感謝をして生きていかなきゃいけない。そして、誰かの希望になる店にしたい、と新たな夢が出来たのでした。私がたくさんの人に助けられたように、誰かの心の拠り所になりたいと。

 

 

アパレルの仕事を辞めた今も、このことは私を励ましてくれる思い出です。夢を叶えられたかは分からないけれど、全力でお客さまを愛し、スタッフを愛し、お店を愛することが出来たアパレル人生でした。

 

 

実をいうと、それから仕事じゃない場所でまた裏切りに遭うのです。この事件が起きてからそう時間が経っていないときです。晴天の霹靂。弱り目に祟り目。相当落ち込みましたが、それでも今がある。

 

生きている間には、また裏切られることがあるかもしれません。

それでも、この日のことを想うと、隠れているだけで大切なものは近くにあるのかもと思えます。

逞しい心は、決して一人きり生まれませんでした。今も支えになってくださった一人ひとりに感謝をしています。

 

『絶望と希望』 

 

そう言えば、このブログを書きながら聴いていた曲。川島あいさんの『絶望と希望』。中学生の時に出会ってから、ずっと大好きな曲でした。

この出来事は、なんだかこの曲に似ている気がする。

 

『負けないように忘れないように もう一度瞳は空を見上げるから』

 

私、いつのまにか、ちゃんと逆境に立ち向かう強さを教えてもらっていたんだなあ。

絶望にはそっと希望が寄り添っているはず、と。

 

 

アナログが恋しいはなし。

私はアナログな人間なもので、またスマホの無い時代を過ごしてみたいなぁ……なんて思ったりします。それは、コロナ外出自粛期間中に昔の漫画を読み漁っていたからかもしれません。

 

私が大好きな『スラムダンク』や『天使なんかじゃない』は1991~1992年、ちょうど私が生まれたあたりに作られた漫画です。ストーリー中に携帯電話は出てこず、電話といえば専ら公衆電話。今やあまり見かけない、使っている人もあまりいない、あの公衆電話です。

 

それにしても少女漫画の公衆電話って、どうしてあんなにキュンキュンするんだろう。

『天ない』の名シーン、雨の中の公衆電話。晃、ヤンキー座りして電話を掛けるものだから雨に濡れちゃってビショビショで。ボックスの中に入って電話すれば濡れないのに……と思いつつ、そのキザな電話の掛け方がとても格好良くて、中学生の私は憧れたのでした。

 

雨の中片思いの人が家の近くに来てくれて、(まだ家に来るような仲じゃないから)こっそり近くの電話ボックスから呼び出す。そんなシチュエーション、20世紀に入った今では少し非現実的。27、8年前、まだ生まれたばかりだから当時の記憶がないけれど、当たり前の出来事だったのかな。

勿論スマホで連絡してくれるのも十分嬉しいけれど、コミュニケーションをとる術がデジタルじゃなく「体」が資本だったのって、大変な分、より嬉しいと思うのです。

 

 

LINEを返すのは面倒くさがるのに、手紙を書くのは大好き。そう言うと、変な奴とよく言われます。

LINEのピコンッ! とすぐに繋がれる手軽感は嬉しいけど、その素早いキャッチボールが苦手で返事をいつも後回し。その引け目で自分から連絡が取りづらくなり、相手からも連絡が来なくなって、疎遠になってしまった友達が何人かいます。これはLINEのせいではない、LINEに対して怠惰な自分を今年こそ直したいのです。

 

 

そんな私も、メールは割と好きでした。メールをよく使っていたのは高校生になって携帯電話を買ってもらってから、LINEが主流になるまでのたった数年間ですが。

 

メールといって最初に思い出すのは、着メロ。部活の友達、中学校時代の友達、そして当時好きだった人や親友、それぞれに着メロを変えて、誰からメールが来たか音ですぐ分かるようにしていました。好きな人のメロディが鳴った時のドキドキ……ああ、懐かしい。あのメロディ鳴れーっ!! って、念を送ったりね。(これ、割と多くの人が経験してるんじゃないかな)

空いている時間にかわいいデコメを探したり、メアド変えました~って連絡したり、誕生日には特別のテンプレートでメールしたり、あのちょっと面倒くさくて、嬉しい時間はいつの間になくなっちゃったんだろう。

 

 

今日久しぶりに、初めて使っていた携帯電話の電源を入れました。大好きだった、黄色の折り畳み式携帯電話。

液晶なんて、今使ってるスマホと比べると3分の1ほど。でもなんだろう、この持ってみた時の手のフィット感。両手でボタンをぽちぽちする感じ……。懐かしいよ。たまんないよ。保存された写真の画素が粗いのも、またいい! 確かに、こんな画像が粗い時代だったらインスタとか流行んないよね。 

 

そして久々に開いたメールフォルダ。いやあ、懐かしい文章。顔文字に、絵文字。

高校の卒業式後、意を決して送った告白メールも見つけてしまった……。ファンモンの『告白』を聴きながら、ええいっ! って送った、告白メール。隠れなくてもいいのに、こっそり台所の冷蔵庫の前に小さく座ってメールを送信した。(今も鮮明に覚えているもんだなぁ)

送ってからもそわそわ、何度も新着メール問い合わせをして。やっと彼の着メロが鳴っても、なかなかメールが開けなくて。メールを開けたら開けたで、返信にドキドキして全然眠れなくて朝が来て……。うわぁ、めちゃめちゃ青春だったな。

 

それからなにより、友達からのメール。

読んでいたらうっかり泣いてしまうくらい、感動した。誕生日とか、受験でやっと合格できたときとか、かなりの長文で送ってくれていた。これまたスクロールが遅くてね、ゆっくりゆっくり下の文が映って……その感じが感動を増長させるのです。こんな照れくさい言葉を遅れたのは、若かったせい? それともメールだったせい? 

 

外出自粛期間中に断捨離を進め、いっそ昔のケータイも全て捨てちゃおうかと思っていたけれど、やっぱり捨てられない、捨てたくない思い出だなぁ。

懐かしんでいたら、ガラケーが急に愛おしくなってしまった。5Gの時代に差し掛かろうとしているけど、ガラケー再来をこっそり願ってしまいます。

 

 

そんな中かなりの量だったこともあり、この度一部処分してしまったのが私の一番大好きなコミュニケーションツール、手紙です。

 

手紙をやり取りするようになったのは中学生からでした。

今の中高生もやったりするのかな? ルーズリーフを小さな四角形の形に織り込んで手紙交換すること。私は毎日のように手紙交換をしていました。休み時間に書くのは勿論、親友には夜に手紙を書いて翌日彼女の下駄箱にいれたり、朝早く階段の隅で交換こしたり(親友の教室はひとつ上の階だった)。

中学校を卒業してもう十二年も経っているのに、その手紙はひとつ残らずとっていました。数えていないけど、100個どころじゃないかなりの数。けれど、なかなか読み返すこともなくなっていて、去年の年末に全部読み返して一部の大切な手紙以外を処分しました。(「教科書貸して」とか、変な落書きとかもぜーんぶとってあった……!)

 

不覚にも、読み返しながら何度も泣きました。

今なら全然気にしないこと、一晩寝たら忘れちゃうようなことを、毎日必死で悩んでいたのだと思い出しました。手紙で友達と励まし合って、体育祭や合唱コンクールの日はそれをポケットの中に入れてお守り代わりにしていたことも、フラッシュバックするように蘇ってきた。私の学校生活で唯一中学校が楽しい思い出だったのは、この手紙があったからだったんだね。

 

実はそんな大量に手紙をやり取りしていた親友とも、20歳くらいから連絡を取らなくなってしまいました。私も学校や就活で忙しくなり、彼女も新しい道に進むようになり、いつからか。いまは連絡先も、どこにいるか何をしているかも分かりません。

 

それでも、私は今も友だちだって思ってしまいます。彼女と交換した小さい手紙があったから、今の私がいる。会えなくても「心の友」として、ずっと側に居てくれる気がするのです。

 

 

手紙って、文章以上のものが伝わる気がします。選んだ便箋とか、書かれた筆圧とか、字の形とか。

私は人の字を見るのが好きで、特に中学校の時はプリントに名前が書いていなくても誰の字か分かるくらいクラスメイトの字を把握していました。それぞれが本当にその人を表しているようで、面白かったんです。本当に筆跡診断といって、その人の性格や深層心理も分かるそう。それはさっぱり分かりませんが、その時どんな様子だったかは私でもなんとなく想像できます。

 

今は昔に比べて直筆の文字を見ることが無くなりました。親友の文字でさえ、年賀状くらいしか見る機会がありません。自分自身、仕事に没頭していた時期は自分の字すら忘れてしまうほど字を書いていませんでした。見るのは活字ばっかり。フォントは沢山あれど、本当の自分の文字ではない。ちょっと寂しくなります。

 

とはいえ、今コロナウイルスが流行する状況で誰かとコミュニケーションを取れるのは、ハイテクなデジタル機器のおかげ。アナログが「懐かしい」「恋しい」と言えど、私もこの便利な生活から離れられません。

 

だからこそ、心だけはしっかりアナログで。

 

ゆっくり考えて言葉を発信したり、大切な言葉はしっかりメモに書き起こしたり、

何度も書き直し、手が痛い思いをしながら大切な手紙を書くように、心を籠めて言葉を伝える。その心は忘れないようにしたいです。活字だからこそ、想いをたっぷり籠めて。

 

 

そんな話をしていたら手紙を書きたくなってきました。急に友達に手紙を出したら驚いちゃうと思うから、まずは未来の自分へ手紙を書こうか。これまた、読み返すと小恥ずかしい手紙だったりして。